【徹底解説】サディオ・マネのプレースタイル、生い立ち、サラーとの仲は?

リヴァプール
この記事は約4分で読めます。

貧困から大スターへ

マネのプロへのキャリアには感動的な話が含まれている。今回はそんなマネのプロになるまでのストーリーを紹介しよう。

マネはセネガルのセディオ州に生まれた。彼もまた幼少期からサッカー選手に憧れる少年の一人だった。しかし周りのプロになる子供たちと決定的に違うのは「環境」だ。マネが幼少期住んでいたのはセネガルの貧困地域。村を支えるのは次世代の若者たち。マネは両親に教育者となって村を支えて欲しかったのだ。マネの両親はマネにサッカーをすることを禁止した。マネの生まれ育った村には今までプロのサッカー選手になった者など存在せず、当時その村に住む者にとってはプロサッカー選手になるなど夢のまた夢。将来の見えない先行投資をするわけにはいかないのだ。

しかしマネの考えは違った。「プロサッカー選手こそ村にみんなを助ける唯一の方法。僕は絶対になれると信じている。」マネは常々、両親にそう語っていたようだ。マネはプロになる夢を叶えるため15歳になると両親には内緒で村から800kmも離れたセネガルの首都ダカールにトライアウトを受けに行った。結局両親にはバレてしまったが、その頃にはもうマネは入団する権利を持っていたのである。

マネはその後フランスのメスでキャリアをスタートさせ、RBザルツブルク、サウサンプトンと順調にステップアップし、ついにイングランドの超名門であるリヴァプールの10番を背負うまでに成長したのだ。そんなマネの活躍あってか、セネガルでは最も好きなチームにリヴァプールを挙げる人々が増えているという。

何かと日本にゆかりがある

マネは何かと日本とゆかりがある選手だ。まずは2018年ロシアW杯のグループステージで日本代表とセネガル代表のメンバーとして対戦。日本との試合でも川島の弾いたボールがマネに当たり、結果マネのゴールになった。

そして吉田麻也とサウサンプトン時代にチームメイトだったのも日本人選手との関わりの一つだ。当時吉田麻也とマネは仲が良く、マネがリヴァプールからのオファーが届いた際には吉田にリヴァプールに行くべきかどうかアドバイスをを請うたそうだ。そしてそれだけでなく南野拓実ともリヴァプール時代にチームメイトだった。これからの南野の去就は少し不明なところがあるが、二人の関係はまだ続きそうである。南野がリヴァプールに加入したての頃は、マネがチームに馴染めるように仲良くしてくれたとか。マネと南野がウォームアップでリフティングをしているシーンも切り取られている。

話題のサラーとの仲は?

元イングランド代表のトレバー・シンクレアはマネとサラーの間には亀裂が入っているとコメントしているし、マネの代理人の投稿の中にはサラーとの不仲を連想させるものが過去には確認されている。サラーとマネの不仲説が流れたのはバーンリー戦でサラーがマネにパスを出さす決定機を外し、その後マネが交代されクロップに「どうしてあいつを交代させないんだ」と激昂したシーンを切り取られてからだ。

しかしこれらはあくまで憶測に過ぎない。プライベートで深く交流している情報は全くないものの、プロの世界ではチームメイトがビジネスライクな関係であるのも普通だ。「仲がいいわけではないけど問題はない」この表現がぴったりくるのではないか。事実彼らを最も近くで見ているロバートソンも立場を踏まえているかもしれないがそのような報道を全くの事実無根だと否定している。

終わりに

今回は貧困から一気にスターダムに駆け上ったマネ選手についてご紹介させていただきました。マネ選手のようにアフリカ系選手の多くは過酷な環境の中、這い上がってきた選手が多いのでどうしても応援したくなりますよね。

個人的にはジェズス選手がブラジルW杯の期間中はW杯用の壁のペインティング作業しお金を稼いでいたというエピソードも好きで応援したくなってしまいました。サッカー選手のバックボーンを知るとめちゃくちゃ試合も面白くなりますよね!

では今日はここら辺でさようなら!

お時間のある方、下のブログランキングバナーをクリックしていただけると大変うれしく、モチベーションになります。所要時間は5秒です。どうか何とぞよろしくお願いいたします!


海外サッカーランキング

リヴァプール
スポンサーリンク
iruttyoblogをフォローする
イルッチョブログ
タイトルとURLをコピーしました